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大阪地方裁判所 昭和53年(ワ)1864号 判決 1983年2月25日

第七三二号事件原告、第一八六四号事件被告(以下「原告」という。)

伊藤孝一

右訴訟代理人

真砂泰三

松本勉

中川雅章

西川悠紀子

第七三二号事件被告、第一八六四号事件原告(以下「被告」という。)

寺田徳三郎

寺田まち子

右被告両名訴訟代理人

浜本丈夫

第一八六四号事件右原告両名訴訟代理人

山本健三

第一八六四号事件被告(以下「被告」という。)

大阪府

右代表者知事

岸昌

右訴訟代理人

道工隆三

井上隆晴

柳谷晏秀

中本勝

主文

一  昭和五三年(ワ)第七三二号事件について

1  被告寺田徳三郎、同寺田まち子はそれぞれ、原告伊藤孝一に対し、五六万一〇九六円及び右各金員に対する昭和五一年一一月一四日から右各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告伊藤孝一のその余の請求を棄却する。

二  昭和五三年(ワ)第一八六四号事件について

1  被告大阪府は、被告寺田徳三郎、同寺田まち子それぞれに対し、二六六万二八六六円及びうち二四一万二八六六円に対する昭和五一年一一月一四日から右各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告寺田徳三郎、同寺田まち子の被告大阪府に対するその余の請求並びに原告伊藤孝一に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用について

1  原告伊藤孝一と被告寺田徳三郎、同寺田まち子間に生じた訴訟費用は、これを二〇分し、その一を原告伊藤孝一の、その余を被告寺田両名の負担とする。

2  被告寺田徳三郎、同寺田まち子と被告大阪府間に生じた訴訟費用は、これを五分し、その四を被告寺田両名の、その余を被告大阪府の負担とする。

四  仮執行宣言について

この判決は、主文第一、二項の各1に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判<省略>

第二  請求原因

一  事故の発生

次の交通事故が発生した。

1  日時 昭和五一年一一月一三日午後九時二五分ごろ

2  場所 大阪府道泉佐野粉河線(以下「本件道路」という。)の大阪府泉佐野市大木二二三四番地先付近(以下「本件事故現場」という。)

3  事故車 普通貨物自動車(六六泉う六五二三号)

4  右運転者 (原告伊藤主張)寺田悟史(以下「悟史」という。)

(被告寺田両名主張)原告伊藤

5  態様 原告伊藤と悟史の乗る事故車が、本件道路を和歌山県粉河町方面から大阪府泉佐野市方面に向け走行中、本件事故現場付近において、道路右側に逸脱し、二瀬川に転落した。

二  責任原因

(第七三二号事件)

1 悟史は、事故車を保有していたものであるから、自賠法三条により、原告伊藤の損害を賠償する義務があるところ、被告寺田両名は、悟史の両親であり、同人には他に相続人はいないから、同人の死亡に伴い、その相続分(各二分の一宛)に従い、同人の右損害賠償義務を相続した。

(第一八六四号事件)

2 原告伊藤は、無免許であるにもかかわらず事故車を走行させたうえ、前側方の注視を怠り、かつ本件事故現場のカーブで、ハンドル操作を誤つた過失により、本件事故を発生させたものであるから、民法七〇九条により、悟史及び被告寺田両名の損害を賠償する義務がある。

3(一) 本件道路は、被告府が管理している。

(二) 本件事故は、本件国道の管理に瑕疵があつたため発生したもので、このことは、次の諸点から明らかである。

(1) 本件道路は、事故車と同じ方向から本件事故現場に至るまでの約一〇〇メートルの区間では、右曲りの大きなカーブを経て、徐々に左に屈曲しながら、事故現場で直角に近い左曲りのカーブになつているうえ、右曲りのカーブの辺りでは勾配もゆるやかであるものの、左に屈曲する部分から現場までは、急な勾配となつている。そのため、夜間、前照燈を点燈して走行する車両運転者には、右曲りカーブを過ぎる辺りから、照射方向がたびたび変つて運転目標が不安定となり、現場手前三〇メートル付近に至ると、照射は安定し、左曲りの急カーブの中央部を照らし出すようになるが、うす暗い状況で、それより先の直角に近いカーブを認識することは困難となり、しかも、下り急勾配で自然に加速され、速心力により、ハンドル操作も極めて困難となり、急カーブを曲り切れない危険が存在する。

(2) したがつて、本件道路の管理者としては、右危険を防止するため、下り急勾配、急カーブ指示の道路標識、急カーブの進路をより早く認識するための道路中央線、夜間照明灯、ガードレール、その上の反射板、逸脱防止のためのガードレール等の設備を設置しなければならない。このことは、被告府が本件事故後、ガードレールを道路右側に設置したことによつても明らかである。

三  原告伊藤の損害(第七三二号事件)

1  受傷、治療経過等

(一) 受傷

原告伊藤は、本件事故により、頭部外傷Ⅲ型、右膝右足挫創、背部打撲、頸椎捻挫の傷害を受けた。

(二) 治療経過

昭和五一年一一月一三日から昭和五二年二月二〇日まで医療法人三和会永山病院に入院。

昭和五二年二月二一日から昭和五五年五月二二日まで同病院に通院(実治療日数二八日)。

(三) 後遺症

原告伊藤には、①頭部に頑固な神経症状(後遺障害等級一二級一二号)、②正面視で複視(同表一二級相当)の後遺症が残存し、これら症状は、昭和五五年五月二二日固定した(右①及び②は、併合され、同表一一級に相当する。)。

2  治療関係費

(一) 治療費(文書料も含む。)

一一六万八六一〇円

昭和五一年一一月一三日から昭和五二年六月二九日までの分

(二) 付添看護費 四〇万円

一日四〇〇〇円の割合による入院期間一〇〇日分

(三) 入院雑費 一〇万円

一日一〇〇〇円の割合による入院期間一〇〇日分

3  逸失利益

(一) 休業損害

五〇万六三九七円

原告伊藤は、事故当時二〇才で、関西電気保安協会に勤務し、事故前一年間に一二六万七〇二〇円の収入を得ていたが、本件事故により、昭和五一年一一月一四日から昭和五二年二月二八日まで休業を余儀なくされ、その間三七万一三九七円の収入を失つた。

また、同原告は右欠勤により、昭和五一年度下期期末手当(昭和五二年六月支給分)のうち、一三万五〇〇〇円を減額された。

(二) 後遺障害による逸失利益

二〇一万三二九五円

原告伊藤は、前記後遺障害のため、右症状固定後も一〇年間にわたりその労働能力を一〇パーセント喪失したものと考えられるから、同原告の後遺障害による逸失利益を年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、二〇一万三二九五円となる。

4  慰藉料

入通院分 一〇〇万円

後遺症分 一九〇万円

5  弁護士費用 四〇万円

6  損害の填補

原告伊藤は、次のとおり、損害金の内金として支払を受けた。

(1) 自賠責保険金

三一八万九六〇〇円

(2) 被告寺田両名から 五万円

四  被告寺田両名の損害(第一八六四号)

1  死亡

悟史は、本件事故により、頭部割創、頭蓋内出血等の傷害を受け、翌一一月一四日午前零時医療法人三和会永山病院で死亡した。

2  悟史の損害

(一) 逸失利益

一六七二万八六六〇円

悟史は、事故当時二〇才で、浜本染料株式会社に工員として勤務し、一か月平均一一万七〇〇〇円の収入を得ていたものであるところ、同人の就労可能年数は死亡時から四七年、生活費は収入の五〇パーセントと考えられるから、同人の死亡による逸失利益を年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、一六七二万八六六〇円となる。

(二) 相続

被告寺田両名は、悟史の両親であり、同人には他に相続人はいないから、同人の死亡により、その相続分(各二分の一宛)に従い、同人の損害賠償請求権を相続取得したので、各八三六万四三三〇円の債権を取得した。

3  被告寺田両名の損害

(一) 葬儀関係費用 各二五万円

(二) 慰藉料 各三五〇万円

被告寺田両名は、唯一人の男子である悟史を、失つたものであり、その精神的苦痛は極めて甚大であるから、これを慰藉するには、各三五〇万円が相当である。

(三) 弁護士費用 各一二〇万円

五  本訴請求

(第七三二号事件)

よつて、請求の趣旨1記載のとおりの判決(遅延損害金は、本件事故の日の翌日である請求の趣旨記載の日から民法所定の年五分の割合による。)を求める。

(第一八六四号事件)

よつて、請求の趣旨2記載のとおりの判決(遅延損害金は悟史死亡の日である請求の趣旨記載の日から民法所定の年五分の割合による。ただし、弁護士費用に対する遅延損害金の請求はしない。)を求める。<以下、省略>

理由

第一事故の発生とこれに関連する事情

一原告伊藤と悟史の乗つた事故車(どちらが運転していたかは別として)が、昭和五一年一一月一三日午後九時二五分ごろ、本件道路を和歌山粉河町方面から大阪府泉佐野市方面に向け走行中、本件事故現場付近において、道路右側に逸脱し、二瀬川に転落したことは、全当事者間に争いがない。

そして、右争いのない事実に、<証拠>を併せ考えると、次の事実が認められる(ただし、<反証排斥略>。)。

1  本件道路は、和歌山県粉河町と大阪府泉佐野市とを結ぶアスフアルト舗装道路で、本件事故現場付近では、山間部を縫うように走つており、その状況は、別紙図面(三)及び(四)記載のとおりであること(なお、図面(三)は正確な測量に基づく平面図であり、図面(四)は事故後の実況見分に基づく概略図であるため、わずかな相違はあるものの、測量、作図方法の差異を考慮すると、格別矛盾するものとはいえない。)、そして、本件道路の、粉河方面から現場に至る一〇〇メートル前後の区間は、下り坂道で(このうち、同図面(三)記載のNo.・0地点からNo.・1地点までは、7.495パーセント、No.・1地点からNo.・2地点までは、9.270パーセント、No.・2地点からNo.・3地点までは、7.305パーセント、No.・3地点からNo.・4地点までは、7.175パーセントの下り勾配となつている。)、しかも、いつたん右側にゆるやかにカーブしたのち、No.・0地点からNo.・3地点にかけては、次第に左側に湾曲する形となり、No.・3地点からNo.・5地点の間で、左側に大きくほぼ直角に近い角度でカーブしており、また、進路左側は、山の傾斜面となり(道路と傾斜面との間には、同図面(三)のとおりコンクリート蓋をした側溝が続いている。)、その右側は、崖に連なり、その下には、二瀬川が本件道路に沿つて流れていること、そのため、本件事故当時、右区間の本件道路左端沿いには、崖からの転落を防止し、かつ、車両の誘導を兼ねて、同図面(三)記載の①ないし③及び⑤の位置にガードレールが設置され、また、同図面(三)記載の位置には小屋(同図面(四)記載の「温泉荘車庫」のことである。)があつて、事実上同じ目的を果していたが、同図面(三)記載の④の位置だけ(約一一メートル)は何故かその理由は定かでないが、ガードレールが設置されていなかつたこと、しかも、同図面(三)記載の事故現場の北側及び南側二箇所には、民間会社の取り付けた街燈があつて、当時も点燈していたものの、わずか二〇ワツトの螢光燈であつたうえ、遠かつたこともあり、右小屋周辺は、真暗であつたこと、また、現場付近には、右ガードレール、街燈のほか、車両の交通に関連する施設、設備は無論、道路標識、標示等も一切なかつたこと、したがつて、夜間、粉河町方面から泉佐野市方面に本件道路を下つてくる車両の運転者としては、前照燈の照明のみによつて、道路の状況を把握する必要があるところ、同図面(三)記載の小屋前Tの電柱(同図面(四)記載の粉河線1/5)の手前一〇数メートル辺りまでは、前照燈の照射により、その中心部分に、前記ガードレールや、小屋が順次映し出されてくるため、運転者の視線も自ずと誘導される関係で(もつとも、右小屋自体は、光を反射する材料がないため、白色塗料の塗布されたガードレールに比して、光の反射する度合は著しく低く、したがつて、視認がそれだけ困難であるうえ、約五〇メートル手前の地点辺りから、照射光の左端部に入つてくるとはいうものの、その正面にとらえることができるのは、約二〇メートル手前前後の地点からである。)、下り勾配で自然と加速されるにしても、運転は比較的容易であるけれども、右電柱までの一〇数メートル区間は、道路の形状自体はそれまでと同じような曲り具合を示しながら、前照燈の照明の中心部分が、右小屋から左方にずれ始めて、前記④の位置のガードレール等の設備は全くない暗闇に移行し、照射光が分散される関係で、それまでと違つて視線を誘導するものが専ら路面の形状のみに限定され、しかも、電柱前辺りから、前認定の急カーブになるため、前照燈のみでは、一見あたかも本件道路がそれまでと同様のゆるやかに湾曲して延びているようにみえないわけではなく、自動車の速度いかんでは、急カーブの発見が遅れるおそれも十分あつたこと、本件道路の最高速度は、時速四〇キロメートルに制限されており、事故当時付近路面は乾燥していたこと、なお、本件道路の交通量は、夜間少なく、事故当日の午後九時五〇分から午後一〇時五〇分までの間に実施された実況見分の際には一〇分間に九台の車両が現場付近を通行したことが確認されていること。

2  悟史は、昭和五一年七月三日、運転免許を取得し、そのころ、中古の本件事故車(乗用定員二ないし四名、長さ2.99メートル、幅1.29メートル、高さ1.62メートル、車両重量六〇〇キログラムのライトバンである。)を購入し、通勤用に利用していたこと、一方、原告伊藤は、同年三月一七日、自動車教習所の過程を修了したが、事故当時まで、運転免許を得ていなかつたこと、そして、両名は、同じ工業高校電気科の卒業生で、事故当日、事故現場からさらに粉河町寄りの大鳴温泉バンガローに、他の同窓生八名とともに集つたこと、その際、悟史は、自ら本件事故車を運転し、仲間一名を同乗させ、本件道路経由で、同日午後七時半すぎごろ、右バンガローに着いたこと、一方、原告伊藤は、これより先、同日午後七時ごろ、同じ同窓生の車に便乗して到着していたこと、こうして、同日午後八時ごろから、集つた卒業生は、ウイスキー、コーラを飲みながら、水煮きを食べ始め、談笑を交していたところ、同日午後九時すぎごろ、悟史と原告伊藤は、他の仲間に告げることもなく、二人連れ出つて、事故車に乗り込み、右バンガローを発つたこと、この間、悟史が、少なくとも、水割りのウイスキー二杯を飲み、原告伊藤は、大型グラスで水割りを三杯飲んでいたが、バンガローを出る際、格別酒に酔つているような素振りはみられず、事故後両名の診察に当つた永山一郎医師も、酒を飲んでいることには気付かなかつたこと、こうして、バンガローを出発した事故車は、本件道路を泉佐野方面に向け進行し、事故現場手前に差し掛つた際、別紙図面(三)の記載のNo.・3地点の道路左寄りの部分を通過し、徐々に左にハンドルを切り、それに伴つて、前照燈の照射の中心部が、小屋から前記④の位置に移行していつたとき、急カーブに気付き、ブレーキ操作に及んだが、それまでの本件道路の曲がり具合の延長上に大きな弧を描く形で進行し、小屋の左横2.2メートルの箇所から、転落し、いつたん、温泉荘に至る下り坂の私道端に前部を衝突させたうえ、その下の崖に生育する桜の幹に損傷を与え、さらに、密生する樹木の枝等を折りながら、二瀬川の中に、車体底面を上に向けた形で、横転したが、この間に転落現場に遺留された痕跡、横転した車両の位置等は、同図面(四)記載のとおりであつたこと。

3  本件事故現場付近では、本件事故の四ないし六年前、現場から約五〇メートル粉河町寄りの本件道路から車両が川床に転落した事故が二件あり、また、本件事故の一年前、車両が本件と同じ別紙図面(三)記載の④の位置から温泉荘の前記私道上に転落した事故が二件あつたこと、さらに、本件事故後、住民から被告府に、右④の位置にガードレールを設置して欲しいとの陳情があつたこと、そして、本件事故後、右④の位置に、ガードレールが新設されたほか、同図面記載の②及び③記載のガードレールが、連結されて、前記電柱の背後、小屋と接するところまで延長され、これら全てのガードレールの上部に、視線誘導標が等間隔に取り付けられ(したがつて、事故車と同じ道路をとる場合、視線誘導標により、前照燈の光がすべて反射されることとなつた。)、しかも、同図面(三)記載の小屋の北西端「ミラー」の位置に、カーブミラーが付設されたこと。

以上の事実が認められ<る。>

二次に、事故車の本件事故発生当時における運転者が誰であるかについて検討する。

1  横転した事故車と乗員の状況について

<証拠>によると、次の事実が認められる(ただし、<反証排斥略>。)。

(一) 事故車の前部座席と後部荷台部とは、座席シートの背もたれにより明らかに別個の空間をなし、横転後も、背もたれはそのままの状態であつたこと、また、前部座席は、運転席、助手席からなり、それぞれ別個のシートとなつていたこと。

(二) 転落した事故車は、前記一で認定したとおり、別紙図面(四)記載の位置に、二瀬川をせき止める形で、底部の上方に、前部を南西側(本件道路側)に向けて横転していたこと、その際、運転席ドアは開いており、ガラスは、後部を除き、すべて破損していたこと、そして、悟史は、運転席側の左斜め後方に、車体と垂直をなすような形で(頭部は川の上流、足は下流にそれぞれ向け、しかも、足は車体から一メートル程度の位置にあつた。)、うつぶせの状態で川水の中に倒れていたこと(頭部は完全に水に浸つていた。)、一方、原告伊藤は、助手席側の右斜め前方一ないし二メートルの石の上に倒れていたが、間もなく、地元民らが救助にかけつけたときには、上体を起こして、座り、うめいていたこと。

以上の事実が認められ<る。>

2  事故車乗員の負傷の部位、程度並びに事故車内の損傷状況について

<証拠>によると、次の事実が認められる。

(一) 悟史は、本件事故により死亡したのであるが、(1)その直接の死因は、頭頂部割創による頭蓋内出血であること(右割創は先のとがつたものによるものではない。)、そのほか、同人は、(2)右肘部、右下側腹部に打撲創を負つていたこと、これに対し、原告伊藤は、本件事故により、(1)前頭部打撲(外傷は存していなかつた。)によると思われる頭部外傷Ⅲ型、頸椎捻挫、(2)背部打撲、(3)右膝部、右足部に挫創の傷害を負つていたこと、なお、両名とも、全身各部を打撲しているようであつたが、外傷そのものは、少なく、刺創あるいは切断は見受けられなかつたこと。

(二) 事故車の内部では、天井が下方に圧縮され、特に、後部、運転席上部、フロント周辺がとりわけ大きく変形していて、大きな衝撃が加わつたことをうかがわせていたこと。

以上の事実が認められ<る。>

3 右1及び2で認定した事実並びに前記一の2で認定した事実を前提にして事故車の運転者が、悟史であつたか、原告伊藤であつたかについて、判断する。

(一) 前認定のとおり、横転した車両の運転席ドア側に悟史が、助手席側に原告伊藤がそれぞれ倒れていたが、かりに、事故車が崖面を転落する過程で、両名が車外へ投げ出されていたとすると、崖面には、樹木が密生し、しかも車体がこれら樹木を折りながら落下していつた状況からみて、両名ないしは少なくとも一名は、繁茂する樹木にひつかかり、あるいは、これらによつてかなりの外傷を負うのが自然であるのに、このような事態は生じておらず、かえつて、両名とも、樹木の枝等によると刺切創のないことは無論、事故の大きさの割に外傷の比較的少ない状態で、事故車両脇の極く至近に倒れていたものであつて、これらの諸事情からすると、両名は、車体が崖面を離れ、川中に横転する前後に、車外に投げ出され、それぞれの位置に倒れていたとみる方が自然であるといえる。

(二) また、前認定の事故の態様、横転時の状況(横倒しになつていない。)、車内の損傷状況からすると、事故車の転落過程における乗員に及ぼす影響は、車体の前部からの回転に伴う上下、前後の激しい動きに限られるものと考えられ、乗員が相互に左右反対方向に動くようなことはないと推測され、しかも、背もたれのある運転席、助手席双方の空間の広さから考えてみても、車内で乗員相互の入れ替りはまず考えられない。

(三) さらに、前記認定の運転席頭上の天井部分の圧縮、変形状況からすると、運転席乗員が頭頂部に強度の衝撃を受けていると推測されるところ、このようにして生じた可能性のある外傷は、原告伊藤にはなく、悟史にはこれと符合する傷害があることは、前記認定したとおりである。

(四)  このように考えてくると、本件事故時に事故車を運転していたのは、悟史であつて、原告伊藤ではないといわなければならない(もつとも、<証拠>のうちには、右認定に反する部分が存するけれども、これらはいずれも単なる憶測を述べているにすぎず、右認定の支障となるものではなく、他に右認定を左右するに足りる資料はない。)。

第二責任原因

(第七三二号事件)

一悟史が事故車の保有者であることは、原告伊藤と被告寺田両名の間に争いがなく、前記第一の二で認定したとおり、原告伊藤は事故車の同乗者にすぎないから、悟史には、自賠法三条により、原告伊藤の損害を賠償する義務がある。そして、悟史が、本件事故により死亡したこと及び被告寺田両名が同人の両親であることは、右当事者間に争いがなく、<証拠>によると、被告寺田両名以外悟史の相続人がいないと認められるから、同人の右損害賠償債務は、被告寺田両名が相続によりその相続分各二分の一の割合に応じて承諾したものといわなければならない。

(第一八六四号事件)

二他方、被告寺田両名の原告伊藤に対する請求は、前記第一の二で認定したとおり、原告伊藤は事故車の運転者ではないと認められるから、その余の判断をするまでもなく失当である。

三被告府が、本件道路を管理していることは、被告寺田両名と被告府との間に争いがない。

そこで、本件事故の発生が本件道路の管理の瑕疵に帰せられるべきものであるか否かについて、判断する。

1 前記第一で認定した事実によると、本件現場付近道路を夜間車両で走行する場合、前照燈の照明のみででも、前記小屋のあることにより、進路前方が、強弱はともかく、カーブしていること自体は分るはずであるうえ、下り勾配の山間部道路では、車両が自ずと加速され、カーブの程度も種々あり得ることは運転者としては当然心得ておくべきことというべく、悟史において、当時、たとえ付近の道路状況に不案内であつたとしても、前方注視を厳にし、臨機の措置をとり得るまでに減速して進行していたならば、本件事故の発生を回避し得たと認められるから、この点において、同人に、重大な過失のあることも明らかである。

2  しかし、他方、前記第一で認定した事実、殊に同一の1及び3認定の事実によると、夜間、事故車と同じように、本件現場付近に車両が進行した場合、それまでの道路の曲り具合に比して、現場のカーブは比べようもない程急なものであるのに、この地点に差しかかる車両の前照燈正面には突如それまでと異り視線を誘導する対象を欠く状況が生じ、そのため、運転者に対し、一瞬ではあるが、あたかも道路がそれまでと同じような形状で延びているかのような錯覚を与え、ひいては急カーブの発見が遅れる危険性があると認められるから、本件道路管理者たる被告府としては、右の危険な状況を運転者に警告し、予知させるため、本件現場の手前の適切な位置に、道路が直角に左にカーブしていることを示す道路標識ないし標示あるいは徐行に近い速度制限を示す道路標識ないし標示を設置するか、又は小屋の北隣りに視線誘導標識を設置するなどして、転落事故の発生を未然に防止する施設を設けることが必要であつたといわなければならず、この点において、被告府の管理にも瑕疵があつたといわざるを得ない。

3  そして、前記第一の一の2で認定した本件事故発生の経過を照らすと、本件事故発生については、悟史にも、飲酒して事故車を運転したうえ、前記1で認定した過失もあり、しかも、その程度も重いものといえるけれども、前記2で認定した本件道路の管理の瑕疵もまた本件事故発生の一因となつていることは否定することができない。

したがつて、被告府には、国賠法二条一項により、被告寺田両名の損害を賠償する義務がある。

第三原告伊藤の損害(第七三二号事件)

一治療経過、後遺症

<証拠>によると、原告伊藤は、本件事故により、第一の二の2で認定した傷害を負い、請求原因三の1の(二)記載のとおり、入、通院したが、同(三)記載の後遺症が残つたこと、もつとも、現在では、時に、(特に、天候の不順な折)頭痛がし、眼にもやがかかつたりする程度であることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

二治療関係費

1  治療費(文書料を含む。)

一一六万八六一〇円

<証拠>によると、請求原因三の2の(一)記載の事実が認められる。

2  付添看護費 二五万円

<証拠>によると、原告伊藤は前記入院期間一〇〇日間付添看護を要し、現に同原告の実母睦子が付添つたと認められるから、一日二五〇〇円の割合による合計二五万円の損害を被つたことが認められる。

3  入院雑費 七万円

経験則によると、原告伊藤は前記入院期間中、入院費として一日七〇〇円の割合による合計七万円の損害を被つたことが認められる。

三逸失利益 四七万三一八二円

1  <証拠>によると、次の事実が認められる(ただし、<反証排斥略>。)。

(一) 原告伊藤は、事故当時二〇才の青年で、電気主任技術者免許を有する者として、財団法人関西電気保安協会和歌山支部和歌山出張所に勤務し、一般家庭を徒歩もしくは自転車で回り、電気設備に漏電等の故障がないかどうかを点検、調査する義務に従事し、事故前九二日間に、二九万〇七七四円(昭和五一年八月から一〇月まで、本給六万二〇〇〇円の三か月分に、付加給合計一〇万四七七四円を加えて算出した。)を得ていたこと、ところが、本件事故により、事故日の翌日から昭和五二年二月二八日まで一〇七日間休業を余儀なくされ、この間の収入を失い、しかも、この欠勤に伴つて昭和五二年六月支給された昭和五一年度下期期末手当では一三万五〇〇〇円を減額されたこと。

(二) しかしながら、その後は、同協会大阪南支部所轄の出張所に移されたことはあるものの、従事担当する職務の内容に変化はなく、給与面でも格別の不利益を受けていないうえ、本給は、昭和五六年一一月の時点で七万五〇〇〇円になつていること。

以上の事実が認められ、<証拠>中には、昭和五六年一一月の時点で同期の給与が一〇〇〇円程度上回つているかのように述べる部分及び、将来昇進が遅れ、管理職手当の面で不利益を受けるおそれがあるかのように述べる部分が存するけれども、いずれも漠然とした内容で、これを裏付ける的確な資料を欠いているうえ、前記一で認定した同原告に残る後遺症状の現状、その職務の実情等に照らし、到底信用することができないし、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

2 右1で認定した事実に、前記一で認定した事実を併せ考えると、原告伊藤の前記休業に伴う収入三三万八一八二円(二九万〇七七四÷九二×一〇七、円未満切捨て。以下同じ。)の喪失及び期末手当一三万五〇〇〇円の減額は、本件事故と相当因果関係に立つ損害であると認められるけれども、前記後遺障害が将来減収をもたらす蓋然性が高いとまで認めることはできないから、この間の事情を慰藉料算定にあたつて十分斟酌するとしても、逸失利益の請求としては、認められないというほかはない。

四慰藉料  二三〇万円

前記第一認定の本件事故の態様、悟史と原告伊藤の関係、事故に至るまでの経緯、前記一認定の受傷、治療経過、後遺症の内容、程度のほか、諸般の事情を考慮すると、原告伊藤の慰藉料額は二三〇万円と認めるのが相当である。

五損害の填補

請求原因三の6記載の事実は、原告伊藤と被告寺田両名との間に争いがない。

したがつて、原告伊藤の前記二ないし四認定の損害額合計四二六万一七九二円から右填補額三二三万九六〇〇円を控除すると、残損害額は一〇二万二一九二円となる。

六弁護士費用  一〇万円

本件訴訟の経過、前記認容額に照らし、被告寺田両名の負担すべき部分は一〇万円が相当である。

七よつて、被告寺田両名はそれぞれ、原告伊藤に対し、前記五と六の合計額の二分の一である五六万一〇九六円に、右各金員に対する本件事故の日の翌日である昭和五一年一一月一四日から右各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を付して支払う義務があるというべきである。

第四被告寺田両名の損害(第一八六四号事件)

一悟史が、本件事故により事故の翌日である昭和五一年一一月一四日死亡したこと及び同人の両親である被告寺田両名が各二分の一の相続分により同人を相続したことは、被告寺田両名と被告府との間に争いがない。そして、本件事故による右被告らの損害は、次のとおりである。

1  悟史の損害

(一) 逸失利益

<証拠>に、弁論の全趣旨を併せると、悟史は、事故当時二〇才の青年で、浜本染料株式会社に勤務し、一か月一一万七〇〇〇円の収入を得ていたことが認められるところ、同人の就労可能年数は死亡時から四七年間、生活費は収入の五〇パーセントと考えられるから、同人の死亡による逸失利益を年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、次のとおり一六七二万八六六〇円となる。

(算式) 11万7000×12×0.5×23.83=1672万8660

(二) そうすると、右(一)の二分の一にあたる八三六万四三三〇円が、被告寺田両名各自の相続分ということになる。

2  原告寺田両名固有の損害

(一) 葬儀関係費用 各二〇万円

<証拠>によると、同被告らは悟史の葬儀をとり行い、その費用として六〇万円(各三〇万円宛)を支出したことが認められるところ、同人の年令、社会的地位、身分関係等諸般の事情に照らすと、本件事故と相当因果関係のある損害と認められる葬儀関係費用の額は、四〇万円(各二〇万円宛)とするのが相当である。

(二) 慰藉料  各三五〇万円

前記第一認定の本件事故の態様、悟史の年令、身分関係のほか、諸般の事情を考慮すると、被告寺田両名が悟史の両親として、同人の事故死によつて受けた精神的苦痛を慰藉するには、各三五〇万円が相当であると認められる。

二過失相殺

本件事故の発生については、悟史にも、前記第二の三で認定、説示した過失が認められるところ、同じく同所で認定した被告府の管理の瑕疵の態様、程度、本件事故の態様、悟史が運転前飲酒していた等諸般の事情を考慮すると、過失相殺として被告寺田らの損害の八割を減ずるのが相当と認められる。

そして、原告寺田両名の前記一認定の総損害額合計各一二〇六万四三三〇円から八割を減ずると、損害額は各二四一万二八六六円となる。

三弁護士費用  各二五万円

本件訴訟の経過、前記認容額に照らし、被告府の負担すべき部分は被告寺田両名につき、各二五万円が相当である。

四よつて、被告府は、被告寺田両名それぞれに対し、前記二と三の合計額二六六万二八六六円に、弁護士費用を除く金員に対する悟史死亡の日である昭和五一年一一月一四日から右各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を付して支払う義務があるといわなければならない。

第五結論<省略>

(弓削孟 佐々木茂美 孝橋宏)

図面(一)、図面(二)<省略>

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